3月11日(日)
伊藤博文公命名の料亭 四山楼を訪ねる

3月11日、奇しくも東日本大震災から満一年の日にあたる。この日、私達は山形市七日町の老舗料亭「四山楼」を訪ね、話をお聞きする前に、黙祷を捧げた。四山楼(しさんろう)は、山形市七日町四辻を東に上り、次の四辻の右手にある。

明治9年、初代山形県令三島通庸による山形県庁建設のため、料亭「の丶村」が代替地としてこの地を与えられ、建てられたものである。明治12年、時の内務卿・伊藤博文公が宿泊された折り、楼の二階より四方の山々を眺め「四山楼」と名付けられ た。文字通り「四方の秀麗な山が見渡せること」が、山形を代表する景観なのである。 その後、明治44年の市北大火で焼失。奇跡的に蔵座敷だけが残り、半年後に母屋が再建された。

老舗料亭・千歳館

門は、車がやっと一台通れるくらいの細い道に面している。現在は一方通行であるが、これくらいの道が、味わい深い。人力車はこの幅でよかった訳で、道幅もまた歴史を物語るのである。

本館正面

松の古木を横に見ながら玄関を入ると、ご主人(右)と、女将の柿本京子さん(左から二人目)が迎えて下さった。まずは、正面のステンドグラスに驚く。

洋間・鹿鳴館ホール

玄関正面には、伊藤博文公揮毫の【四山楼】の額。手前は和風の凛とした佇まいだが、奥は洋風の色使いになっており、擬洋風建築かと、期待が膨らむ。

明治の市北大火で焼け残った蔵座敷に、案内して戴いた。明治24年、棟梁鈴木定吉の手により建てられた重厚な造り。座敷のどこからでも庭を見渡し、四季を感じることができる。

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