平成24年9月30日(日)
三島通庸の遺産 明治期の石橋めぐり

9:30山形市内を車で出発し、南陽市へ向かった。山形県の初代県令である三島通庸(みちつね・一般的につうようとも言われる)は鹿児島県(薩摩藩)出身で「土木県令」と言われ、山形県内に多くの土木遺産と擬洋風建築物を遺している。

三島は明治7年、酒田県令に着任。酒田県はその後鶴岡県となり、明治9年6月、三島は鶴岡に巨大な朝陽学校を完成させた。同年8月には鶴岡県と山形県、置賜県が統合されて、明治9年「山形県」が成立し、三島は初代山形県令に任命された。翌年、旅篭町万日寺跡に擬洋風建築の木造県庁を建築。以後学校、警察、郡役所等が次々に建設された。霞城公園内へ移築された旧済生館本館は、明治11年に山形県立病院として竣工し、明治の名建築と謳われている。

以後建築のみならず三島は、道路約350、橋65橋、堤防11カ所、用水堰2カ所を建造。大久保利通を中心とする政府の近代化政策を、山形県において実行したと言える。その中でアーチ型の石橋は現在も県内に多数遺されており、「近代化産業遺産」及び「土木学会選奨土木遺産」として脚光を浴びている。私達は何度か石橋めぐりを行ってきたが、現在の橋の状況を確認するため上山市を中心とした石橋を訪ねることとなった。

山寺ホテル正面入口

国道13号線を走ると、旧道沿いに「吉田橋」が見える。現在は国道が新しくなり、旧道に入らなければならない。親柱は奇岩を模したデザインで非常に個性的な橋であり、今も現役である。

山寺三番

吉田橋は、南陽市の前川に掛かるアーチ橋。三島による土木事業の一環として明治13年に竣工した。南陽市指定文化財。平成21年には近代化産業遺産、土木学会選奨土木遺産に登録され、石碑が建っている。

本館2階

親柱に刻まれた「吉田橋」の文字。地元の石工「吉田善之助」が中心となり、工事が行われた。吉田はこの他にも栗子隧道、片洞門、堅磐橋、中山橋等にもかかわった名工。設計施工は、奥野仲蔵。

2階客室

吉田橋の先に進むと集落がある。集落の中に、ひっそりと地べたに這いつくばるような橋が架かっている。橋を渡るだけではなかなか気づくことができない「蛇ヵ橋」。橋をおりると、立派なアーチ橋であることが分かる。

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