平成24年11月4日(日)
紅葉の「格知學舎」を訪ねる

天童市の東方、五老山山麓は「貫津」(ぬくづ)と呼ばれています。山中には「じゃがらもがら」と呼ばれる不思議な場所があり、地中の風が吹き出しているということです。

「格知學舎」は、浄土真宗の僧である本沢竹雲により私塾として開かれ、明治3年に落成しました。竹雲は山形市長谷堂の寺に生まれ、柏倉、上山、米沢、京都、江戸の塾で学びました。貫津村の名主であった結城六右衛門は、上山藩校明新館の教師であった竹雲を招き、明治2年この地に塾を開きました。「格知學舎」は、五老山山麓にあったため「五老学校」とも呼ばれています。また「翠濤書院」「月光精舎」とも称し、日本の伝統に即した教育を行いました。
竹雲の教育は漢学や仏教が主体で日本の伝統を重んじ、西洋文明を拒むものでした。弟子はちょんまげを結い和服を着用したため、「ちょんまげ学校」とも呼ばれ、昭和21年までその教育は続きました。約70年間、この學舎で学んだ村山地域の地主の子弟は180余名と言われています。

山寺ホテル正面入口

じゃがらもがらの手前にある交流センター駐車場に車を停め、坂道を下る。眼下には天童の町並みが広がっている。民家の周囲には柿の木、菊の花などが植えられて、秋の風情。遠くには天童市のシンボルである舞鶴山が見える。

山寺三番

格知學舎の標識がある丁字路で細い道に入り、生け垣に囲まれた民家の間を歩く。この道を通って、生徒達は塾へ通った。心地よい路地だが、このような道はこの頃ほとんど見かけなくなった。

本館2階

少し歩くと、民家の中に格知學舎はあった。門に至る前庭は紅葉が始まっており、京都のお寺のような佇まいである。正面右手の石碑には「史蹟 格知學舎」と刻まれている。昭和27年山形県の史蹟に指定された。

2階客室

格知學舎正面。右手は住居部。現在住まわれているが、學舎は閉鎖されており、外観だけを見ることができる。庭は苔むしており、京風のタカオカエデが繊細で美しい。

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