平成25年1月20日(日)
明治天皇の行在所であった 料亭「亀松閣」を訪ねる 

明治14年7月、明治天皇は山形へ行幸されました。明治政府による東北開発構想実現の第一歩として、明治天皇が東北を巡幸されたのは明治9年のことでしたが、その5年後日本海側の山形と秋田を行幸されました。第2回目の明治天皇東北ご巡幸となります。
  明治9年に山形県が誕生し、初代県令三島通庸が山形市旅篭町に官庁街を造り上げたのは明治10年代のことでした。この官庁街は木造であったため、明治44年の市北大火でほとんど焼失してしまいましたが、後年霞城公園内に移築された「旧県立病院済生館」だけが当時の姿をとどめています。度重なる大火、戦火をくぐり抜けた奇跡の建物と言っても過言ではありません。この立派な官庁街は菊池新学が撮影し、さらに高橋由一が描いており、当時の様子は現在の旧県庁「文翔館」で見ることができます。また七日町周辺の老舗料亭は、当時の様子を知る上で貴重な建物であり、今後も存続が望まれます。

 明治11年には英国人旅行家のイザベラ・バードがこの官庁街を通り、日本奥地紀行の中で「人口二万一千人の繁栄する町」と記しています。またこの時済生館を見て「完成間近である」とも記述しており、翌年明治12年1月8日、済生館は現在の七日町「山形市立病院済生館」が建っている場所に開院しました。

さらに3年後の明治14年、明治天皇が行幸されました。山形市民は寄付金を募って、この官庁街に行在所(あんざいしょ)を建設。行在所とは、陛下が行幸される際に宿泊される建物です。建設された場所は、現在の山形市役所裏手のあたりと言われています。その後明治17年現在地に移築され、迎賓館や公会堂として使われましたが、維持費に困窮。その結果明治22年、民間に払い下げられて誕生したのが料亭「亀松閣」(きしょうかく)です。私たちは平成25年の初めに、この亀松閣を訪ねることに致しました。

山寺ホテル正面入口

薬師公園から亀松閣を見る。薬師公園は明治17年に開設された公園で、出羽国分寺薬師堂がある。欅の大木が繁り鬱蒼としているのだが、今はすっかり葉が落ちて冬の日が差していた。

山寺三番

薬師公園東側の細い道を歩き、突き当ったところが「亀松閣」となる。門松の飾られた門をくぐると、心地よい白い塀が続いていた。時折、松の枝から雪の落ちる音が聞こえる静かな場所である。

本館2階

硝子戸を引くと、静かな玄関である。建物としては新しく、料亭としてつくられた印象を受ける。この玄関の奥に歴史を物語る部屋があることを想う。

2階客室

二階に上がると大広間になっている。突き当たりの窓の外は竹林で、清々しい。この部屋こそがかつて「玉座の間」であったことを知る。竣工時、突き当たりの窓はなく壁になっており、そちらを背にして明治天皇が座られたのであろう。そう思うと、身が引き締まる。

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